マンスリーコラム

キャリア支援への違和感が生んだ私のパラレルキャリアと、やっと辿り着いた私なりの新しい全人教育

齊藤 寛子 (さいとう ひろこ)


国家資格キャリアコンサルタント(GCDFキャリアカウンセラー)

ROOTS SPIRAL代表理事。新たな次世代教育コンテンツを開発中。

どんな環境に生まれた子どもたちも、素直に納得の一歩を踏み出せる教育と、何度でも踏み出せる柔軟な社会を実現し、幸せな人を増やしたい。

キャリア支援への違和感が生んだ私のパラレルキャリアと、やっと辿り着いた私なりの新しい全人教育

  私は新卒で働き始めてからの9年間もの歳月、一般的には「キャリア支援」「人材育成」「キャリア教育」等と呼ばれる領域を中心に仕事をしてきました。自分なりに人様の人生のお手伝いをするということはどういうことなのか、探究し続けてきた中で、探究すればするほど生まれてくる違和感を一つ一つ紐解いて、ここまで歩んできたように思います。違和感を感じる度に転機があり、働き方や携わる仕事もパラレルにいつの間にか広がっていました。職種としても、フリーランスのキャリアカウンセラーとして始めた時は一つだった肩書きが、一時期は同時に7つ名刺を持って仕事をしていたりしました。ファシリテーター、キュレーター、ライター、広報、コミュニケーションディレクターと各プロジェクトによって担う役割が違うような働き方をしてきました。飽きっぽい私には非常に新鮮で面白い働き方でしたが、バランスをとるのがとても難しかったです。その度に試行錯誤を繰り返しながら、仕事の幅を1年に何回も広げたり狭めたりしながら、一つ一つのお仕事と向き合ってきました。元々違和感を感じるとそのままにしておけない性分で、思い返すと違和感が次の一手に繋がっていくような、そんな生き方をしていたので違和感と共に振り返ってみようと思います。


社会人最初の違和感 : 悶々としたまま、つまらなそうに働く人々

  ちょうどリーマンショックが起こった2008年、新卒で入社した人材紹介会社でキャリアアドバイザーとして働き始めて、強烈にショックを受けたのが、会社やチームの状況や在り方に悶々とした違和感を抱えながらも「仕方ない」「仕事っていうのはそういうものだ」と、鼻から決めつけては、そこに留まり続ける人達でした。話をしていても、新卒ながらにこの人達のようになりたい、とは思えませんでした。それは個々人の問題というよりは、あまりに多いので社会的な問題が潜んでいる気がして、そこからずっと、この違和感を観察し続けていきました。仕事外で楽しそうに働く人々とも出会えるようになると、より一層楽しそうな人との違いが際立ってきました。前者と後者の大きな違いは「変化への期待」があるかどうか、というスタンスの違いだと気がつきました。丁度今話題になっている、リンダ・グラットン氏が『ライフ・シフト』で提唱している言葉を借りれば、それは『変身資産』という無形資産に近い概念だと思います。『新ステージへの移行の意志と能力』と表現されていますが、この著書だけでなく、実は最近新たな時代に必要だと言われている様々な概念とも繋がっているように感じています。例えば、キャロル・デュエック氏の『growth mindset』という概念も『fixed mindset』と対比されて提唱されていますが、『自分の未来が自分の行動によって変わる』と考えているのが『growth mindset』、それに対して『fixed mindset』は『自分の未来は自分の行動によって変わらない』と感じている状態を指します。そして、『fixed mindset』は固定化された環境に居続けることにより、どんどん脳が新たな刺激を欲しがらなくなっていき安定する方向へ進もうとするので、同じ環境に居続けている人ほど、そこから一歩踏み出すのは億劫になっていってしまうのですね。それはまさに大企業内で、良く見られる現象だなと思います。


二つ目の違和感:旧来型教育が子どもたちの可能性を潰している?

  この違和感があったからこそ、私は5年前に独立したのですが、大人になってから何千人、何万人と就職や転職の支援を一生懸命しても、ふと下の年齢を眺めると毎年のように同じく希望や自信のない子どもたちが、就職戦線へと送り込まれ、雪崩込んできては撃沈しています。これが無限ループになっていては根本的解決にならない「モグラ叩き」を永遠と繰り返すことになってしまうのではないでしょうか。私は非常にそこに対して危機感を感じていました。同じ就職転職支援をし続けるだけでは、大人になって困る学生たちを減らすことは出来ないのです。その事実に気づいてしまってから、私はどんどんキャリアのお仕事で対象とする年齢を下げ、もっと若いうちからの予防的アプローチをと考えるようになりました。


三つ目の違和感:教育における『べき論』の難しさ

  よく、教育改革が白熱する中で「これからの教育はこうあるべき」という議論がなされるわけですが、ここで構造問題があるなといつも感じることがあります。

例えば、独立してから手掛けた大きな新規プロジェクトに『チェルシーハウス』という教育寮があります。社会人との接点もあり、他大や他学部の学生たちとの共同生活の中で、多様な価値観との出会いや自己発見の場が生まれるコミュニティー作りに3年程携わっていました。こうした新たな教育の場では、どういった化学反応や変化が生まれてくるか、とても面白い社会実験になるのですが、「ここでは学生の主体性を重んじるべき」とサービス提供側が学生に向かって伝えることは、逆に学生たちの主体性を削ぐことにも繋がってしまうというパラドックスが潜んでいたりします。すると、どのようにそのパラドックスを解消するのか、という課題に直面するわけですよね。これは一例ですが、この例に限らず、誰もが当事者として語れる教育という領域には、こうしたパラドックスは無数に存在します。これから益々多様な価値観が共存する世の中に向かっていく際に、一つの『べき論』では不十分なのではないだろうか、むしろ様々な教育の在り方が個々に合わせて存在して良いのではないかと考えるようになりました。


四つ目の違和感:空気を読みつつ独自の感性を失っていく子どもたち

  先に述べた、一義的な『べき論』からの脱却を目指し、かつ、属人的ではなく再現性のある新たな教育を見出していけないだろうか。そう考えて昨年立ち上げたものが、ROOTS SPIRALという団体です。『多様な子どもたちの好奇心や探究心をそのまま素直に伸ばし、可能性ある選択肢とも環境格差を越えて繋げていけるようにしたい。』そうした想いで活動をする中で、小学生からアプローチする手法を開発しているのですが、授業などで接していると、まるで用意されたかのような模範解答をしてくる学生がいるのです。とても良く相手のニーズを捉えているわけですが、何だか心が置き去りになっている印象で腑に落ちないのです。こんなに小さい頃から、自分を抑えて相手に合わせるのに慣れてしまっている子どもたちが、多様化して模範解答などない社会を生き抜いていけるのだろうか、と。そんな風に感じれば感じるほど、今は、自分なりの感性に正直に素直に生きていける『芯の強さ』と、それを社会において様々な方法と接続していける『しなやかさ』を子どもたちに授けていきたいと考えています。


最後に:パラレルキャリアは時を掛けて熟す

  最近とても感じることが、表層的には全く別物に見えるようなパラレルなキャリアも自分の中で全部最終的には繋がってくるという実感です。大学時代の発達心理学が今になって研究領域と繋がり、ジャズバンドで触れていた音楽(アート)も人を繋げる一要素として活用できると感じられるようになり、そして興味があった建築も寮のプロジェクトで接点があり、少しだけ勉強した物理も場のファシリテーションと相似形だなと感じる瞬間があったり。数えたらキリがないのですが、人生はそういうものなのかなと思うと、長い目で自分のペースで焦らず信じる道を進んでいけば、振り返ってみたら良かったと思える瞬間がくるのかもしれません。私自身もまだ発展途上ですが、これまでのパラレルすぎる蓄積が、時に自分以外の誰かにとってのキッカケをふと作り出す瞬間、人生無駄は何一つ無いのだなと改めて実感しています。


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